やっと鉄道旅行が楽しめる時代に

2011.11.27

敗戦直後の社会の混乱も次第に収まり、石炭事情も安定し、1948年(昭23)ごろから列車の本数も目に見えて増えてきた。1949年6月、これまで鉄道省だった国鉄は公共企業体として再出発したが、これに関連した。大量首切りによる組合闘争が激化、その年の夏には下山国鉄総裁がナソの榛死をとげた下山事件、無人電車が暴走した三鷹事件、悪質な列車妨害で東北本線の旅客列車が脱線転覆し多数の死傷者を出した松川事件など、陰惨な事件が相次いだ。

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しかし一方、青春のメロディー「青い山脈」の流行や、牛乳など重要生活物資の統制撤廃など明るい話題が国民に希望を与え、鉄道でもこの年9月のダイヤ改正では東京〜大阪間に特急が〈へいわ〉の愛称(翌年1月、〈つばめ〉と改称)で走り始め、展望車・食堂車も復活、翌年のダイヤ改正では2木目の特急〈はと〉が登場、東京〜大阪間の特急の所要時間は戦前と同じ8時間となり、列車ダイヤはほぼ戦前の鉄道黄金期の姿に戻ってきた。東京〜大阪間の夜行急行1往復には〈銀河〉の愛称が付けられたが、これは急行列車のニックネーム第1号で、続いて全国各線の急行にも〈明星〉〈彗星〉〈阿蘇〉〈霧島〉〈雲仙〉〈筑紫〉〈安芸〉〈みちのく〉〈北斗〉〈青葉〉〈日本海〉〈北陸〉と、天体の名や走行線区に因む地名・国名・山名などが付けられて、利用者の心をくすぐった。また食堂車・2等寝台車(現在のA寝台車)も連結され、当時としては快適な鉄道旅行が楽しめるようになった。